苦手な相手への問題視と克服策を言語化したら少し落ち着いてきたよ

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現在抱えているコミュニケーション問題において

 

”どうして「伝わらない相手」にさせてしまったのか”

 

自責の念を心掛けて

 

思いつく限りを書いてみる。

 

 

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そもそも何が問題なのか

 

一人の人間としてみれば素晴らしい方。

 

なのに、チームの一員として見ると

どうしても気になってしまう。

 

以下、問題となる人を「相手」とする

 

 

いつも気になる問題点

 

・相手の真意や意図が読み取りにくい

相手を理解したくて質問してみても

遠回しな言い方や極端な例えが多いため

何度も聞き返すことが多く、話が脱線しやすい

(そのやりとりに私は疲れたんだな)

 

・相手は感情があまり表に出ないため

会話の中で相手がどう感じているのか読み取りにくい

(いちいち気にしてしまう自分にも要因あり)

 

・話し合って決めたはずの約束を相手が守りきることが稀

(難しければ事前に相談でもしてくれればいいのに)

 

・非があっても他責とする話が長い

(何度も同じ逃口ばかりに聞こえる)

 

  

自分の反省点も結構出てくる

 

もちろんそれが相手の全てではない。

他の人から見れば問題視するほどでもないのかもしれないが

協調性から大きく外れてしまう人への許容力がまだ乏しいんだな。

 

相手との接触が増える度に

自分の正当化を主張するかのように

相手に対して嫌悪感や無関心さが募っていた。

 

そして相手の言動を問題視しては

 

傲慢にも

相手に変わってほしいと強く望んでいた

 

 

ほかのメンバーとも

憂えたり愚痴っぽくなったりする会話が増え

チームの雰囲はすっかり変わってしまった。

 

 

自業自得なのに、

被害者意識の強かった自分も情けない。

 

 

イマイチだった対策からも問題と改善を見出したい

 

なんとか関係を改善させたくて

三者を交えてコミュニケーションを試したが

お互いの主張は伝わることなく平行線に終わった。

 

 

当時潜んでいた自分の問題的な思考

 

・ヒートアップして感情論だけが先走っていた

(熟考なき言葉の威力は大きく人を傷つけやすい)

 

・話す前から自分の発言が相手に共感されるものと思い込んでいた

(そのくせ相手より優位に立ちたくて上から目線で見ていた・・)

 

・自分の提案どおりに相手が動くものと期待していた

(「YESと回答があった=思いは伝わった」という誤認)

 

 

受け手への配慮や工夫がなかったのだから

反省点が多いのは当たり前だ。

 

 

相手をコントロールしようとしていたし

ある意味相手だけに甘えているのだろう

自分の幼稚さも見えてくる

 

 

今の自分にできることは

 

やっとここまで言語化できたか。

何が問題で、どこを反省しているかなんて

ぼんやりと程度だったから大いなる進歩ではある。

 

と思いつつも

まだ相手を目の前にすると

自分の被害者意識や甘えた思考が拭いきれないで

感情的になりやすくなっているのも事実。

 

 

できることなら、

 

”相手”の関心から離れて

落ち着く時間をもっと確保したほうがよいかな

 

と思えてきた。

 

時間が教えてくれることも多いもの。

 

肝心なのは、相手を変えようとするのではなく

今後の自分がどのような行動を選択するかに着目すべきだものね。

 

 

「伝わるしくみ」山本高史著より

「送り手の言葉は、受け手への提案」

「すべてを決めるのは受け手である」 

 

 

今後も念頭に置いてコミュニケーションを楽しもう。